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2006年07月19日

元女子プロ社長奮闘記−第10話−反対

三日三晩泣いて反対する母親を口説き落とし練習生になる手続きを取る。
契約書には『もし練習中に怪我をしても死亡しても自己責任』と書いてある。
サイン。内容を見て又泣くオカン。

まだプロレスラーになった訳でもないのに…心配性だね。

でも親にとって娘がプロレスラーになるなんつー事は
偉いこっちゃ以外の何もんでもなかったはず。

しかもオカンは書道家、オトンは税理士なんてまた固い職業の間に育っちゃったもんだからも〜大変。

勘当ものでした。。汗

元女子プロ社長奮闘記−第9話−練習生

『練習生』…
全日本女子プロレスがプロレスラー育成の為に有料で練習を教えてくれる
というこの上なく有り難き制度。
トレーニングは基礎体力とリング上で行う受け身とスパーリング。

すっごい!練習生になったらあの憧れのリングに上がれちゃうんだ!!

夏休み必死でバイトしたお金で即入会。

中3の夏休み。部活そっちのけ、『受験はどうするの!』と親は泣く。

2006年07月17日

元女子プロ社長奮闘記−第8話−焦り

さすがのあたしも中3になって少し焦り始める。
オーディションまであと一年しかない…。
今のあたしといえばバスケの他に多少自己流の筋トレ程度。

やっばい、こんなんじゃ1000分の10に入れないよ〜。

どうしよう…考える。どうしたらオーディションに受かるんだろう??

そんな時、某雑誌の片隅に『全日本女子プロレス練習生募集』の文字。キ

ター!!( ̄∀ ̄)これしかない!

2006年07月16日

元女子プロ社長奮闘記−第7話−ジェラシー

二年生になると私がバスケ目的で練習してる訳じゃないって事に部員達も薄々気付き始めたらしい。
ある日、部員全員に囲まれ総攻撃。
一年でキャプテンに選ばれた事で相当やっかみもあったんだろうな。
そんな事言われたってさ〜あ。
元々バスケとかあんま興味なかったしぃ〜とも言えず。
でもあたしの頭ん中はプロレス一色で部活とか、なんもないから。
他の事なんてどーだって良かったんだ。
殴られようが罵倒されようが『お前らいつか見てろ』ってくらい。

そんなんだったから勉強とかも全く熱心じゃなかった。
ただ、学年で50番以内に入んないとプロレス見に行っちゃダメ〜ってゆう親との約束があったから、
それくらいのところまでは頑張ってたかも。

だってプロレス見れなくなったら悲しいもんなっ。

2006年07月15日

元女子プロ社長奮闘記−第6話−入部

そんな中、中学校に入学し部活に入る。
バスケ部。
練習が一番キツいからという、ただそれだけの理由で選んだ。
さすが噂に違わぬ練習量で50人いた部員も1ヶ月で約半分に減る。
更に夏休みが終わった頃には結局10人足らずに。
脱落者続出の中、半年でキャプテンに選ばれる。
プロレスラーになりたいが為、一心に筋トレしてたのがコーチの目にはさぞかし練習熱心に映ったらしい。

いや、目的が違うんですけどね…とは言えず
キャプテンを引き受ける羽目に。
チームメイトには悪いけどバスケ頑張る気なんてサラサラないんだよな〜。
でもとりあえず『目指せ国体!』とか言ってみる。

まとめる気がないんだから当然まとまる訳もなし。

2006年07月12日

元女子プロ社長奮闘記−第5話−猪突猛進

毎日必死に食べまくった甲斐もあり、中学に上がる頃、体重は軽く60kgオーバー。
今や立派なおデブちゃんへと成長していた。
へへんっ。
身長は伸び悩んでまだ155cmくらい。
でもまぁ、あと3年で5cmくらいは伸びるかな?
まだまだ成長期だしね。

プロレスラーになると決心してから、プロレスについても色々と調べていた。
ランドセルの中には教科書の代わりに常に『週間プロレス』が入っていた。
周りからはかなり変な子だと思われてたと思うけど。
本人は他人にどう思われてようとそんなの全くカンケー無し。

猪突猛進。でも、こうした資料を読むうちに
女子プロレスラーになる為には年に一度の『オーディション』なるものを受けなければならず
しかもその『オーディション』は全国から1000人以上の応募者の中で
合格者はたったの5〜10人というとてつもなく狭き門である事を知った。
普通の神経なら愕然とするような確率の低さだと思うんだが、
その時の私には確信があり、自信があった。
その自信は一体どこから…?

当然だが当時の私には合格するという根拠は何もない…。

2006年07月11日

元女子プロ社長奮闘記−第4話−疑問

どうやったらプロレスラーになれるんだろう?
当時の私はといえば身長は150cm、体重40kg足らず。
TVで闘う選手とは似ても似つかぬ姿である事くらいは子供の私にでも分かった。

『太ろう!』

さすがは小学生、単純。笑
その日から食べる食べる。
とにかく食べる。
おかずが無くなってもご飯だけを永遠食べまくる。
ノルマお茶碗に5杯。

ある日突然黙々と食べ出した娘に親も何が起きたのか意味が分からず、
胃拡張じゃないだろうかとやたら心配した様子。

『あんた、そんなに食べたら体壊すよ』

だから〜、女子プロになるっつったじゃん!

2006年07月10日

元女子プロ社長奮闘記−第3話−夢

『ママ、あたし女子プロレスラーになる!』

『はいはい、分かりましたよ』

『本当だってばっ』

『はいはい、今忙しいから後でね』

本気にされてない…。
てゆうか、当たり前か。
たかが小学生が思いつきで突然言い出す夢なんて
男の子がサッカー選手だの、パイロットだのになりたい!って言い出すのと変わんないもんね。

でも、あたしは本気だった。
本気でコレ、絶対やりたいって思ってた。

小さい頃から超負けず嫌い。
男の子とは毎日喧嘩三昧。
七歳から自主的に空手を習っていた。

『強くなりたい』そんな思いが常に心のどこかにあった。
あたしのやりたい事が、このリングには全部詰まってる。

あのグルグル回る光の中へ…あのリングの中へ入ってみたい!

その日、その瞬間から私の生活全てを『女子プロレス』が支配した。

元女子プロ社長奮闘記−第2話−目覚め

小学5年に上がってすぐだったと思う。
ある日、仲のいいクラスメイトの女の子があたしに言った。
『女子プロ、面白いよ』
女子プロ?女子のプロレス?へー…。

家に帰り夕飯時、いつものように何気なく付けたTVの中で、
今丁度『全日本女子プロレス中継』が始まろうとしていた。
あぁ、コレかぁ、ふーん。
始まってすぐ、リング上ではプロレスラーらしき二人組が唄を歌う。
リングを埋め尽くさんばかりの紙テープの山。
赤、青、黄色のライトがグルグル回っている。

なにコレ!?プロレスじゃないの…?
と思っていると歌の後、コマーシャルを挟んで試合が始まった。
『後楽園ホールより中継です』
女子プロ名物アナ、お馴染み塩野治夫さんの実況。

その日のカードは忘れもしない
クラッシュギャルズVS極悪同盟ダンプ松本、クレーン・ユウ組。
全女定番、一押しのタッグマッチ。

当時毎日のように組まれていただろうこの試合を見て
その後のあたしの人生は大きくその方向を変えてしまった。

元女子プロ社長奮闘記−第1話−遠い日の思い出

あたしがまだ小さかった頃。
大好きだったお爺ちゃんが毎週欠かさず見ていた番組があった。
それが『プロレス中継』。
プロレスが始まる時間だけは家族は誰も他の番組を見ないのが暗黙の了解だ。
お爺ちゃんはプロレスが大大大好きだった。
あたしはお爺ちゃんが大大大好きだったけど
たまに血が出たり、殴り合ったりして痛そうな『プロレス』は本当に嫌いだった。
だから、お爺ちゃんがプロレスを見ている時間だけは
我慢してお爺ちゃんの部屋には入らないようにしてた。
そんな遠い記憶も時が過ぎ、物心つく頃には徐々に薄れて…。

『元女子プロレスラー社長奮闘記』スタート

金村志保と言います。

実は私、15年前は『女子プロレスラー』をしていました。
16歳の時です。

親の反対を高校を押し切り飛び込んだ女の世界。
そこは、言わば現代の大奥とでも言いましょうか(笑 

しかし、そこで学んだ物事は私の人生観を大きく変え、
今の私の原動力となっています。

そして今、私は会社の社長という
新しい世界に足を踏み入れようとしています。

このブログでは私『金村志保』がプロレスと出会い、
今現在社長という立場に至るまで、
どんな経験をしてきたか、
どう変わっていったのか、
そしてどのような影響を受けて今現在に至ったのかを、
私なりの書き方で綴ってみたいと思います。

日記というよりは過去の自分に戻って書いた自伝のようなものです。
もし興味がおありになる方は是非読み進めて頂けたら光栄です。

金村志保